T.C.2012

T.C.2012のできごと

T.C.2012の入隊者

前年のT.C.2011より年3回の入隊サイクルで回り始めている様子ですので、T.C.2012も1月、5月、9月の入隊と考えられます。BBFの入隊時期グラフでは2年くらい前と1年くらい前の隊員たちが該当します。

1月入隊
奥寺、小荒井、人見、古寺、笹森、那須、日浦、志岐、武富

5月入隊
今、来馬

9月入隊
木虎・唯我・絵馬・村上・別役・草壁

T.C.2012に結成した可能性のある部隊

第3期東隊

東さんをチームに招聘するに当たって、1時間以上東さんの脚にすがり付いて嘆願した形振り構わない男。

JC14巻:カバー下の解説より

小荒井の入隊はT.C.2012.1月で奥寺と人見も同期入隊です。小荒井と奥寺の新人シーズンが終わって正隊員になっており部隊結成をしようとしていたとすると早ければT.C.2012.5月の結成でしょうか。正隊員になるのが遅かったとすると時期もずれ込むことになりますが、2人の連携の成熟度から考えるとこの年の結成でもおかしくなさそうです。

奥寺と小荒井は 一人一人はそれほど手強くないが 接近戦の連携のレベルは風間隊に次ぐと言ってもいい 組んで戦えば格上も食える使い手に変わる

第112話:風間のセリフより

2人とも個人ポイントではまだマスタークラスに届いていないとされているものの、第3期東隊が結成された頃にちょうどA級に昇格したと思われる風間隊に追随するレベルの習熟度ですから、作中のB級ランク戦編まで1年半~2年ほど攻撃手の訓練に専念していたことになるのかもしれません。

片桐隊

第3期東隊が結成されたということは同時に第2期東隊の解散を意味します。ただ、東が抜けたことで「解散」したとすると片桐隊が再結成されて新チームとして再びB級からスタートしたはずですが、桃園は東がいる間に加入してA級に昇格したとされています。

部隊に入って割とすぐにA級に上がったため今もテンパり気味の0.8人前狙撃手。片桐・雪丸より遅れて加入したので東味は薄め。(中略)銃手志望でボーダーに入ったが奈良坂に誘われて狙撃手に転向したりと、何かと流されやすい男。

JC25巻:カバー下の解説より

仮に解散後にB級から再スタートして再びA級8位まで上がったとすると桃園も十分ステップアップする環境があったでしょうから、東隊が解散されず隊長の交代により片桐隊に変更された後に東が脱退したという流れになるのではないでしょうか。奈良坂に誘われたあたりは同級生だったからか、あるいは同期入隊のためか。ただ桃園が同期入隊とすると新人シーズンが終わったところで第2期東隊の結成に間に合いそうでもありますから、T.C.2012.1月以降の入隊なのかもしれません。

第3期東隊と片桐隊の結成が同じ時期なのか、前後のシーズンでずれがあったのか、まだ情報が少ないため特定は難しいようです。

佐伯隊(後に草壁隊)

草壁隊結成の経緯からすると遅くともこの年には結成されていたものと思われます。

生駒隊

生駒、水上、隠岐、細井は関西からのスカウト入隊とのことですが、三門市出身の南沢も含め入隊時期は明らかにされていません。ただ、生駒本人がアタッカーランキングのNo.6である点や、最も年下の南沢も一時はマスタークラスに上がったことがあるということから、入隊やチーム結成時期はそこそこ古そうな印象です。

こう見えて一時は8000点(マスタークラス)にも上がったことがある腕利きで、B級16歳組の中ではけっこう有望株。

JC18巻:カバー下の解説より

T.C.2011結成と思われる部隊の多くがA級に上がっていることを考えると、B級上位の常連とはいえA級の経験はない生駒隊はこの年の結成か、早くてもT.C.2011後期の結成ではないでしょうか。

正隊員なって半年くらいやったかな 慰問に行く仕事があってん (中略) それから休みの日は顔出すようにしてんねん もう1年半くらい経つかな

第257話:隠岐のセリフより

257話はT.C.2014.3.24なので、その1年半前はT.C.2012.9月頃になります。この頃にボーダー園の慰問に行く仕事があり、その半年くらい前に正隊員になったということはT.C.2012.3月前後でしょうか。そうなると可能性が高いのはT.C.2012.1月入隊で2~4月のシーズン中に正隊員になったという経緯か。

つまり生駒隊の結成は早ければ5月、遅くても9月でしょう。ボーダー園慰問時には既に生駒隊の隊服姿ですので、10月より後の結成ということはないでしょう。

弓場隊

こちらも生駒隊と同じような理由で結成時期はこの年ではないかと予想します。
初期の弓場隊は弓場、神田、王子、蔵内、藤丸という構成です。

弓場隊といえば…… 王子隊長と蔵内隊員は『弓場隊の初期メンバー』というつながりがあるわけですが

第184話:桜子のセリフより

早ければ前年のT.C.2011年内の結成という可能性も考えられます。ただ、弓場が一対一のタイマン勝負が好きという性格から個人ランク戦の比重が大きくチーム戦への参加は少し遅めだったのではないでしょうか。

猛者たちを相手に何千何万と勝ち負けを積み重ねた末の高ランクだから

第180話:里見のセリフより

A級4位の草壁隊の隊員でNo.1銃手でもある里見ですが、2位は弓場でその弟子という関係になります。180話では弓場がチーム戦に集中しており個人戦があまりやれていないということも言及されていたため、里見が弓場を抜いたのは割と最近のことなのではないでしょうか。

そもそも弓場さんの戦法は 旋空持ちの攻撃手に有利を取るために 諏訪さんのWショットガンを参考にして 編み出されたものなんだよね

第191話:王子のセリフより

ちなみに 弓場ちゃん戦法に対抗して生まれたのが 『生駒旋空』

第191話:小南のセリフより

これらのセリフから、小南が個人ランク戦でバリバリ戦っていた頃に弓場の戦法や生駒旋空が生まれたとすると、弓場隊が結成されたのもこの年だったのではないかなという気がします。

荒船隊

荒船隊はオペの加賀美の入隊が最も早くT.C.2010の中頃、荒船と穂刈はT.C.2011.5月の同期入隊です。半崎はその次の期となる9月に入隊しメンバーが全員揃っていますので、先に半崎以外の3人で結成していればT.C.2011のうちに、4人揃っての結成であれば半崎の新人シーズン後のT.C.2012.1月が結成時期の候補になります。半崎の新人シーズン中に正隊員になったタイミングでスカウトして結成していればやはりT.C.2011年内の可能性もありそうですが。

いずれの場合でもランク戦への挑戦はT.C.2012.2月からのシーズンになったのではないでしょうか。この時期はまだ荒船が攻撃手でしたので、攻撃手+狙撃手2人という編成だったものと思われます。

鈴鳴第一

5月に今と来馬が、9月に村上と別役が入隊しているため、通常であれば10~12月のシーズンを終えて翌T.C.2013.1月にチーム結成となりそうですが、鈴鳴第一は本部所属ではなく鈴鳴支部所属のため入隊時からチーム結成を念頭に配属されていた可能性もありそうです。

Q.来馬先輩の家はどのくらいのレベルのお金持ちなんですか?
A.鈴鳴支部の基地(ビル)を、ポンとくれたくらいのお金持ちです

BBF:質問箱DXのQ086より

Q.来馬先輩は、なぜボーダーに入ったのですか?

A.来馬先輩の親がボーダーへの支援を決めた時に、お金を出す以外で、自分にも何かできることはないだろうかと思って入隊しました。

JC28巻:質問コーナー㉗より

Q.村上鋼が鈴鳴支部に配属になった経緯をぜひ教えてください
A.県外からスカウトされてきて、配属希望に『どこでもいいです』と書いた結果、新しく作られる鈴鳴支部のスターティングメンバーとして配属されました。

BBF:質問箱DXのQ84より

正式な結成時期は不明なものの、来馬と今の時点で鈴鳴第一の支部と部隊の発足は決定しており、その隊員として村上と別役が入隊と同時に配属されていそうですから、T.C.2012.9月には結成されていたのかもしれません。

那須隊

那須隊は熊谷がT.C.2011.9月入隊で最も早く、那須と日浦、志岐は次の期のT.C.2012.1月の入隊です。早ければ5月には那須隊が結成されていそうです。

体が弱い人をトリオン体で元気にできるか?という研究に協力する形でボーダーに入隊した。半年後、そこには元気に跳び回り対戦相手を蜂の巣にする那須さんの姿が。

JC12巻:カバー下の解説より

茜が那須隊に勧誘された(くまが連れて来た)時、那須さんが、いとこの奈良坂に弟子にしてもらえるように頼みました。

BBF:質問箱DXのQ127より

この回答ですと、那須・熊谷・志岐で結成後に日浦が加入という意味にも取れますし、那須隊結成のためにスカウトしている中で日浦にも声がかかったとすると結成時からのメンバーと考えることもできそうです。いずれにしても那須隊加入と弟子入りしたのがほぼ同時ということですから、訓練生の日浦が1シーズンでB級に上がれたか?は気になるところですが、先にC級狙撃手の日浦を勧誘して奈良坂に弟子入りさせてB級に上がった時点で那須隊結成といった経緯があった可能性も考えられるかもしれません。

香取隊

香取隊は全員がT.C.2011.5月の入隊。香取と染井が幼馴染で染井と従兄妹の三浦、香取の兄の友人の若村と全員がボーダー入隊前からの顔見知りという関係です。元々この4人でチームを組むつもりで入隊していたとすると最短で新人期間を終えたT.C.2011.9月には結成できていた可能性があります。ただ、若村は選抜試験編でかなり伸び悩んでいる様子が描かれていましたので、すんなりと1シーズンで正隊員になれたかは微妙なところかもしれません。

おまえがたった半年で上がったマスター級に 2年かけて腕磨いて 犬飼先輩に射撃習ってもとどかねえのがオレの実力だよ!!

第137話:若村のセリフより

137話はT.C.2014.2.19ですから2年前はT.C.2012.2月頃になります。その頃から2年かけて腕磨いて~と考えると、その時期は入隊時からカウントすると2年10か月が経過しているので10か月ほどのズレがあります。となると、T.C.2011.5月に入隊して2年かけて腕磨いてT.C.2013.5月頃、それからT.C.2013.9月頃に犬飼に弟子入りして半年で現在に至る、みたいな感じと考えれば良いのでしょうか?

三雲より1年半以上長くB級ランク戦やってんのに

第245話:若村のセリフより

こちらのセリフが出た245話はT.C.2014.3.21なのでこの時点から1年半となるとT.C.2012.9月頃。2~4月は従来はオンシーズンなので、1年半前のシーズンで考えるとT.C.2012.6~8月のシーズンが該当します。1年半「以上」という表現から、T.C.2012.2~4月のシーズンからB級ランク戦に参戦していたとしてもぎりぎりセーフでしょうか。さすがにT.C.2011.10~12月のシーズンから参戦していたとすると「2年以上長く」とならなければなりません。

小南や那須隊の隊服をパクって人気取りを画策し

JC17巻:カバー下の解説より

香取隊が先に結成して後発の那須隊の隊服をパクって香取隊の隊服を現在のものに変更した、という流れも考えられなくはないものの、素直に受け取るのであれば香取隊は那須隊の結成より後か同時期と考えられそうです。小南もパクられる対象になったということは個人ランク戦で目立ったためでしょうし、そうすると現在の隊服になったのは5月以降が濃厚でしょう。

以上のことから、最短だとT.C.2012.1月結成、有力なのは5月結成ではないでしょうか。
入隊から8か月~1年ほど経っての結成となりますが、別に若村が正隊員になるのに時間がかかったとかでもなさそうなんですよね…。BBFの能力値もB級の中ではそう悪くありませんし、指揮以外のほぼ全てで劣る修ですらC級レベルの状態で烏丸に弟子入りして1か月でモールモッドを単独撃破していますからね。新3バカ程度でも1月8日に入隊して2月22日には4000点が見えていたくらいなので、現行でB級以上の隊員の平均的なC級期間はせいぜい1~2シーズン程度なのではないでしょうか。そうすると、香取隊の結成が遅いのはC級で燻っていた期間が長かったというより、単に部隊を組む理由や動機がなかったということが原因かもしれません。

小南が個人ランク戦に参戦

小南は中学時代までは習い事を優先していたので個人ランク戦は行っておらず、中学卒業間近~高校1年途中までの間だけ参戦してました。
その頃は、迅が黒トリガー使いになって、太刀川が微妙にやる気を失っていた時期で、小南は風間さんらと鎬を削って攻撃手ランク1位に到達。その後、玉狛の独立にともなってランク戦を離れましたが、太刀川と風間さん以外にはまだ個人ポイントを抜かれていないので、現在も攻撃手3位に位置しています。
当時のトリガーは、孤月(短め)二刀流でした。

JC20巻:質問コーナー⑮より

小南はT.C.1996.7.28生まれなので中学の卒業はT.C.2012.3月になります。迅が風刃争奪戦でS級になったのがT.C.2010の10~11月頃ですから、T.C.2011からT.C.2012にかけて太刀川のモチベは随分長いこと低下していたようです。

宇佐美と烏丸が玉狛支部に転属

しおりちゃんととりまるは 1年ちょっと前まで本部にいたからな

第39話:陽太郎のセリフより

第39話はT.C.2014.1月の上~中旬頃になりますので、1年ちょっと前はT.C.2012の10~12月頃と考えられます。小南も高校1年途中まででランク戦から離脱しているため、同じタイミングで玉狛支部に転属となり双月を手にしたのかもしれません。

ランク戦で短めの弧月二刀流だったことを反映して双月が手斧二刀流+コネクタによる一撃というコンセプトになったとすると、技術そのものは先に開発されていたとしても試作レベルでの開発と実装は小南の転属が決まってからだったのではないでしょうか。

玉狛第一は本部のランク戦には参加していないようだが それはおそらく 本部のトリガーと規格が違うためだ たしかに玉狛はボーダーの中では異端だ コナミの動きはむしろ…… 近界民の戦い方に近い

第55話:レプリカのセリフより

烏丸が転属したことに伴い、太刀川隊には唯我が加入しています。唯我は9月入隊ですから10~12月のシーズン中か終了直後に上層部の指示で太刀川隊に配属されていそうですね。

鈴鳴支部はけっこう近いし 合同で防衛任務もやってるからね

第94話:宇佐美のセリフより

鈴鳴支部の新設に伴い、防衛任務を調整するうえで他にも支部を置く要請があって玉狛支部の開設に至ったのかもしれません。鈴鳴を大口のスポンサー枠とすると、玉狛は林藤やクローニンを擁する近界民に近いトリガー技術の開発や運用を目指したモルモット部隊といったところなのでしょうか。

ここまでの情報から考えると、玉狛支部の立ち上げと林藤の支部長就任が先に決定し、旧知でもあり部隊に所属せずフリーだったレイジと小南の配属が決定、部隊を組ませるための補充要員として宇佐美と烏丸が選定され転属が打診もしくは異動が命じられたという経緯が自然ではないかと思います。

レイジのフルアームズや烏丸のガイストもこの頃から開発が始まったり実装を見越した製作が行われていそうです。

遊真が玄界へ旅立つ

カルワリアとスピンテールの戦争が終結し、目的を無くした遊真が有吾の故郷である玄界に向けて旅を始めたのがこの頃と考えられます。

それからおよそ三年の間ユーマは父親の代わりに戦い続けた (中略) 後に講和によって戦争は終結した (中略) そうしてユーマは いくつかの国を渡ってこちらの世界にやって来た

第20話:レプリカのセリフより

有吾が亡くなったのがT.C.2009.12月頃と思われるため終戦がこの頃と考えて良いでしょう。講和と出立にタイムラグがあるとすれば、遊真が旅立ったのはT.C.2013初頭ということも考えられます。三門市にやって来たのがT.C.2013.12月でしたので1年近く旅をしてきたことになりそうです。

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