早いもので考察も7回目の記事となりますが、今回はいよいよ旧ボーダー時代を取り上げます。現ボーダー時代とは異なり、かなり断片的な情報しか出てきませんが、可能な限り時期を特定していきたいと思います。
空閑有吾の軌跡
まずは遊真の父、空閑有吾の情報を足掛かりに見ていくことにしましょう。
遊真の過去と、旧ボーダーの過去、それぞれに深くかかわる人物です。
作中で有吾について触れているところをざっと拾ってみます。
「ちっちゃいころから 親父と二人であちこちの国まわってて たしかおれが11のとき親父が死んだ」
第18話:遊真のセリフより
「有吾さんは……4年半前にボーダーの存在が公になる以前から活動していた いわば旧ボーダーの創設に関わった人間 ボーダー最初期のメンバーの一人だ 私と林藤にとっては先輩にあたり 城戸さんにとっては同輩にあたる」
第18話:忍田本部長のセリフより
今から四年ほど前 ユーマとその父有吾は 近界民の戦争に参加していた(中略)その国の防衛団長と有吾は旧知の仲であり かつて世話になった縁と恩から有吾たちは防衛に力を貸していた(中略)すべてはうまくいっていた 有吾が死んだ あの日までは
第20話:レプリカの説明から
それからおよそ三年の間ユーマは父親の代わりに戦い続けた その三年間がユーマを強くした 粘り強い抵抗により敵国は侵攻を断念し後に講和によって戦争は終結した(中略)そうしてユーマは いくつかの国を渡ってこちらの世界にやって来た
第20話:レプリカの説明から
親父に鍛えられた6年間 親父が死んでからの3年間 その全部をあわせても この爺さんの厚みには勝てない
第78話:対ヴィザ戦にて遊真の洞察より
「システムを考えたのはおまえの親父さんだ まだボーダーのメンバーが10人もいないような大昔に ご機嫌で未来のことを語ってた」
第94話:林藤支部長のセリフより
有吾が命を落とした近界での戦争ですが、アニメ版で国名が明かされています。
有吾と遊真が参戦した防衛側が城塞都市カルワリア、侵攻側がスピンテールです。
有吾が亡くなった時期は遊真が11才の期間中ですから、T.C.2011.7.18~T.C.2012.7.17の間ということになります。
レプリカの言う「今から四年ほど前」は、作中でT.C.2015.12月時点でのセリフですから、T.C.2011.12月前後の出来事と考えて良いでしょう。
有吾が亡くなった後、遊真は三年間戦い続けたとされていますが、レプリカの話からすると、侵攻を断念し戦闘行為が起こらなくなってしばらく経って講和・終戦となった様子。
それを見届けて遊真はカルワリアを後にしたようですので、戦闘停止がT.C.2014.12月前後、講和がその数か月後といったところでしょうか。
T.C.2015.12月には遊真が玄界の三門市にやってきていますので、「いくつかの国を渡」るために必要な日数を考慮すると、カルワリア出立はT.C.2015前半ではないかと予想します。
遊真のC級隊服について
有吾については、今のところ旧ボーダーの創設に関わった人物であることと、遊真を連れて旅をしていたことくらいしか判明していません。
特に旧ボーダー時代については情報が少ないのですが、僅かながら手掛かりもあります。
Q「ユーマのC級の隊服は黒ですが、これも迅さんがアレンジしたんですか?」
JC10巻:質問コーナー⑨より
A「遊真の父・有吾がその昔設定したものが現れているようです。旧ボーダー時代の名残ですね。」
Q「なぜ有吾さんがむかし設定した隊服が、遊真に適用されたのですか?」
BBF:質問箱DXのQ194より
A「ボーダーのデータベースに有吾の生体アカウント的なものが残っていて、遊真の黒トリガーの中の、有吾を構成していた要素に反応したと思われます。」
遊真のC級隊服姿は、5話、三門市立第三中学校でのモールモッド戦で修の訓練用トリガーを起動したときや、23話で小南に弟子入りしたとき、32話の正式入隊日以降の各話などで確認することができます。
Q「トリガーオンした時にトリオン体がボーダーの制服を着ているけれど、制服を着たトリオン体を作っているのでしょうか?」
JC8巻:質問コーナー⑥より
A「トリガー起動時の服装は、「指定した服装の戦闘体に換装」と、「今の服装のまま戦闘体に換装」とを選べます。服装は何パターンか登録して自由に選べます。」
一方、5話で遊真がトリガー起動した際の描写から、起動完了までのシークエンスは以下のとおり。2秒ほどで完了するという設定のようです。
①トリガー起動(意思表示)
②トリガー起動開始
③起動者実体走査
④戦闘体生成
⑤実体を戦闘体へ換装
⑥メイン武装展開
⑦トリガー起動完了
つまり、③で起動者のスキャンを行い、④で選択された服装の戦闘体が構築されるという流れになるようです。
C級隊員のトリオン体ですが、訓練生時の修や千佳はもとより、正式入隊日のモブの訓練生や、アフトクラトルの大規模侵攻時の訓練生、ランク戦の観戦席などボーダー本部基地内にいる訓練生は全て、あの白いお馴染みの隊服での描写で統一されています。
徹底してこの服装で描かれているため、C級の訓練用トリガーについては服装の選択権はなく、「指定された(というより規定の)訓練生の隊服の戦闘体に換装」のみという仕様なのではないでしょうか。
この点について、そもそも訓練用トリガーに服装の登録機能や選択機能自体がオミットされているかというと、おそらくそうではないでしょう。
仮にそのような機能そのものが無いとすると、遊真も通常の白い隊服になっていたはずです。
つまり、遊真が起動すると、遊真自身では服装の登録は行っていないものの、黒トリガーの有吾の生体アカウントに反応し、有吾が当時登録していた服装が選択されてあの黒い隊服の戦闘体に換装された、ということなのではないでしょうか。
アフトのツノを隠す必要のあるヒュースも、この機能を利用してツノなしのトリオン体を登録、選択していると思われますので、C級の持つ訓練用トリガーにも服装の登録機能、選択機能は搭載されているものの、登録手段が通常は提供されていない(=規定の白い隊服にならざるを得ない)ということなのだと思います。
ヒュースのC級隊服はグローブ以外、遊真のC級隊服と同じデザインですが、これは宇佐美が作成・設定したか、そもそも玉狛支部のC級トリガー自体が本部とは仕様が異なっているのでしょう。
玉狛のエンブレム
さて、なぜ遊真のC級の隊服にこれほど注目したかというと、ポイントはそのエンブレムにあります。これは現在の玉狛支部のエンブレムともなっています。
「……玉狛のエンブレムがあるじゃない? あれって元々「旧ボーダー」のエンブレムだったの 上の3つの丸が近界にある3つの同盟国 下の大きい丸が「こっちの世界」 その間にあるのがボーダー っていう意味なんだけど」
第162話:林藤ゆりのセリフより
このことから、有吾がかつて旧ボーダー時代にトリオン体の服装の登録を行った時点で、既にこの同盟が成立し、エンブレムも存在していたことが伺えます。
一方で、遊真が有吾の子どもであることが明らかにされた際、城戸司令、林藤支部長、忍田本部長の誰もが有吾の子の存在については明らかに知らない様子でした。
従って、意図的に遊真の存在を秘匿でもしていない限り、遊真が生まれた頃には有吾は既に旧ボーダーを離れていたと考えるべきでしょう。
ただ、遊真が有吾の実の子ではないとか、近界に渡って戦災孤児だった遊真を引き取って育てたなどの可能性もゼロではありません。この場合は遊真の誕生年より後に旧ボーダーを抜けて近界に渡ったという流れもあり得ます。
旧ボーダー創設メンバー
遊真が誕生したT.C.2000当時の年齢で見てみると、城戸司令は当時27才、林藤支部長は19才、忍田本部長は18才になります。
「俺は新人のころ空閑さんに世話になった恩もある その恩を返したい」
第19話:林藤支部長のセリフより
「……私は きみのお父さんに昔とても世話になった(中略)城戸さんも何も言わないが気にしているはずだ きみのお父さんとは一番古い付き合いだった」
第42話:忍田本部長のセリフより
今のところ作中でボーダー創設メンバーとされているのは有吾、城戸、最上の3名です。BBFの入隊時期グラフによると、旧ボーダー設立時の入隊として、林藤・城戸・忍田の3名が同期に並んでいます。
この5人は旧ボーダー創設からの人物と考えて良いのではないでしょうか。
「最上宗一はボーダー創設メンバーの一人で おまえの親父さんの競争相手だった」
第19話:林藤支部長のセリフより
文字どおりに受け取ると、有吾と城戸が最も古い付き合い=学生時代からの同級生?のような感じで、最上や後輩の林藤、忍田らと共に旧ボーダーを立ち上げたのかもしれません。
「世話になった」がボーダーができてからの話なのか、できる前の話なのかは不明ですが、遊真の誕生より旧ボーダーの設立が前だとすると、有吾と城戸司令が20代、林藤支部長と忍田本部長が高校生の頃にボーダーは創設されたということになります。
旧ボーダーの終焉
既に4年半前、つまりT.C.2011.5~6月頃に発生した第一次近界民侵攻より前が旧ボーダー時代、以後が現ボーダー時代であることは既にこれまでの考察でほぼ確定できています。
では、T.C.2000より前に創設されたと思われる旧ボーダーはどのように第一次近界民侵攻を迎えることになったのでしょうか。
「あら 懐かしい写真 6年くらい前ね」
第162話:林藤ゆりのセリフより
修が玉狛支部の城戸が使っていた部屋で見つけた写真。
そこには旧ボーダー時代のメンバー19人が写っていました。
【生存した隊員】 | 【亡くなった隊員】 |
林藤 匠 城戸 正宗 忍田 真史 林藤 ゆり 木崎 レイジ 小南 桐絵 迅 悠一 九條 真都 桐山 諒治 |
風間 進 相馬 健悟 梅崎 鉄弥 最上 宗一 甲斐 学 平良 響 行方 楓 千尋 麟太郎 鈴村 基紀 脇坂 イブキ |
6年前の写真なので、当然ですが有吾は写っていません。
生き残り組では城戸・忍田・桐山がボーダー本部勤務、ボーダーを離れた九條を除くと、残り4人が玉狛支部のメンバーです。
BBFの入隊時期グラフにもありますが、玉狛支部の入隊順は、林藤>小南>迅>レイジの順。林藤ゆりは時期不明です。
風間進は風間隊隊長の風間蒼也の兄で、林藤の弟子。
最上は迅の師匠であることがわかっています。
他の人物は今のところ詳細は明らかにされていません。
「みんな死んでしまったわ 5年と少し前の戦いで(中略)同盟国のひとつが 「こっちの世界」に近い軌道上にあってね その国が別の国に襲われたの 私たちは同盟国に加勢して戦ったわ それが同盟国との約束だったし 放っておくと「こっちの世界」まで巻き込まれるところだったから 「こっちの世界」まで攻め込まれる前に「敵の国」はなんとか追い返したけど 犠牲も大きかった」
第162話:林藤ゆりのセリフより
T.C.2016.2.23から「5年と少し」ですので、T.C.2010末~T.C.2011初頭あたりの時期が有力候補でしょうか。
「最上さんは五年前に 黒トリガーを残して死んだ」
第19話:林藤支部長のセリフより
19話時点はT.C.2015.12.14になりますが、ここから「5年ほど前」でも「5年と少し前」でも「およそ5年」でもなく、「五年前」とはっきり表記されているため、やはりT.C.2010.12月頃と考えるのが良さそうです。
まとめ
T.C.1999以前 有吾らが旧ボーダーを創設 ↓ 時期不明 有吾が近界へ渡る ↓ T.C.2000.7月 遊真が誕生 ↓ T.C.2005 有吾・遊真が旅を始める ↓ T.C.2010(上半期?) 旧ボーダーの集合写真が撮られる ↓ T.C.2010末頃 同盟国の防衛戦に参戦し旧ボーダーが隊員の約半数を喪失 ↓ T.C.2011.5~6月頃 第一次近界民侵攻 |
旧ボーダーは人員の半数を失い、それからおよそ半年で今度は玄界自体が近界からの侵攻を受け多大な被害を受ける羽目になったわけです。
本編第1話のシーンで、侵攻してきた近界民を撃退したボーダー関係者の姿は、迅・小南・忍田・林藤・クローニンの5名と、特定できない人物2名の7人でした。
旧ボーダーはそれまでの融和的な方針から転換、対近界民強硬派の城戸派が主流となり旧ボーダーの方針を引き継ぐ穏健派の玉狛派、その中間の忍田派に分かれていくことになりますが、第一次近界民侵攻時の主戦力が主に玉狛派の面々だったことからすると、当時はまだ城戸派は少数派だったのでしょう。
実際に玄界が被害を受けたことで、早急に人員と施設を整えた城戸派が勢力を伸ばしていったのかもしれません。
今回はここまで。
次回は玉狛支部のA級隊員を絡める形で、トリガーについて深掘りしていこうと思います。
ご拝読ありがとうございました。
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